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2013年5月6日月曜日

高野秀行 『未来国家ブータン』

みなさんは、「未来○○」というと、何を思い出すだろう?

グーグル先生の候補は「未来工業」「未来日記」が上位に来るようだが、僕は「未来警察ウラシマン」を思い出す。
「未来警察ウラシマン」は、僕が子供の頃に放映されていた、タツノコプロの王道をいくアニメ作品だ。最近、TOKYOMXテレビで再放送されている。

で、今回の話は、「未来警察」には全く関係なく、「未来国家」の話だ。

未来国家といっても、テクノロジーの進化が変な方向に向かってしまって、諸外国のオタク達から「あいつら、未来に生きている」と言われている日本のことではない。
世界一幸せな国として昨今有名なブータンのことである。

以前紹介した高野秀行さんという作家が、ブータンを「未来国家」だとした、『未来国家ブータン』という作品を、今回はご紹介したい。

本書でも、ちょっと変わった紀行という形式は踏襲されている。
今回のミッションは、ブータンにおけるバイオビジネスに関する下見と、雪男の調査だ。
これだけ言うとあまりに支離滅裂な感じだが、ビジネスに関する下見は他者からの依頼であり、このお話の発端である。その依頼に乗っかって、雪男の調査をおこなったというわけである。
著者自身は雪男が存在するなどということには懐疑的なスタンスをとっているのだが、それでも雪男ネタに釣られて辺境に旅立ってしまうあたり、早稲田大学探検部の血なのだろうか。
(著者の早稲田大学探検部の後輩である角幡唯介さんも、自身はその存在に懐疑的であるにもかかわらず雪男ネタに釣られてヒマラヤに行き、『雪男は向こうからやってきた』を著した。)

さて、著者である高野秀行さんといえば、辺境に行ってはアヘンを吸ったり大麻を吸ったり大酒を飲んだりするイメージが強い。
が、実は、年を追うごとに、そういった面が作品に占める割合が少しずつ小さくなってきている。本書でも、そこに割いた字数はかなり僅かだ。
それでいて、辺境に強いその観察眼と洞察力は磨きがかかっている。
いや、観察眼と洞察力に磨きがかかっているからこそ、酒やドラッグの話よりも、もっと書くべきことが多くなってきているのかもしれない。

今回、その観察眼と洞察力で描き出したのは、発展が周回遅れになった結果、エコのトップランナーになったブータンの姿だ。
ブータンといえば「国民総幸福量(GNH)」で有名だが、本書で特に詳しく描かれているのはそちらではなく、この国の環境保全の在り方のほうだ。その環境保全の在り方が、先進諸国が目指しても達成できない姿を体現しているため、著者はブータンを「未来国家」だとしているのだ。

もちろん、幸福に関する観察と洞察も忘れていない。
この国では、幸せになることは権利ではなく義務なのだと喝破する。
もちろん、それを語る文章はどこまでも自嘲的な高野節だ。


本書のあとに著した『移民の宴』で、著者は「初めて親戚に言える作品を書けた」と言っていたようだが(そういうことが渋谷のジュンク堂のポップに書いてあった)、本書も十分親戚に出せる内容なのではないだろうか。少なくとも、大麻もアヘンもやってないし。
それとも、そのポップの文言も単なる高野節ということだろうか。


2013年5月4日土曜日

国分拓 『ヤノマミ』

僕はあまり、アマゾンの先住民の話にはそんなに惹かれない。どう考えれば良いのか分からず、混乱してしまうのだ。

が、NHKスペシャルで採り上げられた「ヤノマミ」という先住民の話がとにかくスゴイ、という話を聞いて、ちょっと読んでおこうかと、軽い気持ちで手に取った。それが、そのNHKスペシャルの書籍化である『ヤノマミ』である。

軽い気持ちで手に取ったのだが、読み始めてみたら、なんと重いことか。

そもそも、NHKスペシャル取材班は150日間もこのヤノマミの集落に住み込み、先住民の生活に密着取材を行っている。
NHKスペシャルのプロデューサに以前聞いたことがあるのだが、NHKスペシャルのスタッフは、その都度都度、NHKの各所からスタッフをピックアップして、タスクフォースのようにチームを組むのだそうだ。
本書の著者であり、当該番組のディレクターは、どういう経緯でこの番組に携わることになったのだろうか。プロデューサ命令であったのだろうか、それとも志願であったのだろうか。ものすごく気になる。僕だったら、とてもじゃないが、150日間もヤノマミの集落に起居するなど、無理だ。

本書はまず、ヤノマミの日常を紹介するところから始まる。
日々のルーチン、ライフスタイル、ヤノマミ以外の人々に接する態度などなど。
完全に異文化である。

そこから次第に、ヤノマミのイベントごとなどの非日常の風景や、ヤノマミの人間関係など深い部分に話が進む。

後半に入ると、出産について描かれている。
そこには、我々が考えるような出産の話とは、全く異なる世界が繰り広げられる。
言ってしまえば子供の間引きなのだが、その在り方の前には、我々の倫理観などとは全く異なる世界観に支えられた、ヤノマミのエコシステム(という表現が正しいのか分からないが、他の言葉が思いつかない)の存在を突きつけられる。
古い日本社会でも、「7歳までは神のうち」という言葉に表されているように子供の間引きは存在していたわけだが、ヤノマミのそれは、日本とは大きく異なる。

さらに話は、先住民と文明社会の接触について展開する。
文明化される若い世代、それに伴って失われる固有の習俗。先住民の話を取り上げるドキュメンタリーでは定番のテーマだが、ヤノマミと150日間起居を共にした著者の筆を通してそれが語られるとき、「先住民固有の文化を守れ!」というような、単純なイデオロギーでは語ることができない葛藤を、読者である我々も共有することになる。

あとがきでは、映画監督の吉田喜重氏の言葉として
「人間が解決のできない問題を提示することこそ、ドキュメンタリーなのではないか」
という解釈を間接的に表現している。
また、同じく、舞踏家の田中泯氏の言葉として
「分からないということは素晴らしいことなのだ」
ともしている。
そう、ヤノマミに象徴されるような、文明と先住民の問題に対して「良いこと」「悪いこと」と断じてしまうのは、単なるプロパガンダであり、ドキュメンタリーではないのだろう。
そして、読者としての僕の中にも、重たい何かがズシリと残り、持って行き場が無い。


余談だが、村上春樹さんの『1Q84』の中に、文明側が道路を作ったにもかかわらず、その道路を避けるように歩く先住民の話が登場するが、あれはどこの先住民だったか。
ヤノマミもまさに、道路を避けて歩く。
『1Q84』では、道路を避けて歩く理由が述べられていなかったが、本書では単純に、道路は直射日光がキツくて熱いからだと述べられていた。
意外と、物事の答えなんて単純なものなのかもしれない。


追記:
NHKオンデマンドで、テレビ版を視聴した。
映像が伴うと、書籍とはまた異なったインパクトを受けた。
が、70分ちょっとという短い時間の中で伝えられることは、そう多くない。
やはり書籍を読むべきだと強く思う。
書籍を読んで初めて、取材者の見たこと、感じたことをよりダイレクトに理解することができると思う。

2013年4月7日日曜日

エリック・ワイナー 『世界しあわせ紀行』

僕は、あまり海外旅行には興味が無い。

登山が趣味なので、海外の山に行きたいとは思うが、街には興味が無い。
なので、山以外だと、せいぜい極端な場所(密林とか砂漠とか氷原とか)の紀行しか、普段は読まない。

が、『世界しあわせ紀行』は、うっかり買ってしまったので読んだ。
それは、帯に高野秀行さんが
「こんな素っ頓狂な本、私が書きたかった」
という惹句を寄せていたからだ。

高野秀行さんが「書きたかった」というぐらいだから、僕の好きなジャンルではなさそうだけれども、もしかしたら面白いのかもしれない。
やたら分厚いので、趣味が合わなかったら悲劇でしかないのだが、それでもエイヤッ!で買ってしまった。

結論から言うと、あまり趣味には合わなかった。

本書では、ジャーナリストである著者が「幸せってなんだろう?」という疑問に答えを見つけるべく、世界各国で「あなたは幸せですか?」と聞いてまわるという内容だ。
これだけ書くと身も蓋も無いが、実際これだけである。

調査対象として、本書で著者が訪れた国は、幸せの対極に位置しそうだという理由で選んだ1ヵ国(モルドバ)と、著者の母国であるアメリカを含めて10ヵ国。
著者は、どの国についても皮肉った表現で描き出している。少なくとも、幸福な人はこういう物言いをしないだろうというところに、著者の表現方法の特徴があるように感じた。
中でも、モルドバについての章は、筆が踊っているかのような、イキイキとした筆致で、幸福よりも不幸が好きなんじゃないかと思わせるに十分な佇まいだった。

内容は、正直なところ各国事情の紹介に過ぎないような気もする。「幸福」ということをキーにしているが、結局はお国事情の表面をサラッとなぞっただけのように感じた。
文章については非常に軽妙でテンポもよく、ユーモアが散りばめられている。が、これが著者のものなのか、翻訳者のお手柄なのかは、僕には分からない。

ペシミスティックな笑いを求めるならば、本書は期待に沿うこと間違い無しだが、僕が読書に求めることとは少々異なるベクトルの作品のようだ。


2013年3月16日土曜日

ショーン・エリス、ペニー・ジューノ 『狼の群れと暮らした男』

前回のエントリーでは、頂点捕食者が生態系の要であること、そして、そういった頂点捕食者の一種としてのオオカミがイエローストーン公園に再導入されたことによる生態系への好影響について触れた。

実際、狼を日本に再導入しようとしている人達は、このイエローストーン公園の事例を非常にありがたがり、成功事例として喧伝している。
ただ、どうも僕には、イエローストーンの事例をそのまま日本に当てはめられるのか、釈然としない。

そんなわけで、オオカミ関連の文献をコツコツと読み漁っているのだが、その一環として今回は『狼の群れと暮らした男』を読んでみた。

著者はショーン・エリスとペニー・ジューノの2人ということになっているが、著者紹介にはショーン・エリスしか載っていないし、本書はショーンの一人称スタイルで語られていて、ペニーの気配はどこにもない。本文中にも登場しない。
もしかしたら文章を担当したのがペニーなのか。よくわからない。

本書は、オオカミと共に生きるショーン・エリスの半生を一人称形式で語った作品だ。
このショーン・エリスは、イギリスやアメリカのテレビ番組などにたびたび出演しているようだが、実は2010年に日本のテレビにも出演している。
それは、2010年2月28日放送の『世界の果てまでイッテQ』の珍獣ハンター・イモトのコーナーだ。イモトがオオカミの群れに混ざるという企画で、ショーンの運営するクームマーティン・パークを訪れたのだ。
残念ながら、本書にはそのことは全く触れられていないが、興味のある方はネットで探すと動画が見つかるかもしれない。

さて、肝心の本書であるが、オオカミの生態ではなく、オオカミと暮らした男の生態が描かれているといったほうが、より適切な印象を抱いた。
が、そこは流石「オオカミと暮らした男」、オオカミの生態についてもかなりのボリュームを割いて解説している。とはいえ、そのアプローチは「暮らした」という観点からであり、大部分を経験論で占められている。
ショーンの展開するロジックが、あくまで経験に基づいた論であるところが、生物学者のカンに障るのだろう。本文中でも度々、生物学者たちから受け入れられない状況に言及されている。

しかしながら、ショーンの経験は、動物園の飼育員程度の経験とはモノが違う。
飼育下に無い野生のオオカミの群れに交じって、しかもその群れの中で最下位のポジションとして2年間もの間、オオカミと同様の生活(そう、風呂にも入らず寝具も用いず、食料もオオカミと同じものを食べて)を送った。
外から観察しなければ客観性を担保出来ないという考え方もあるかもしれないが、内在理論は中に入ってみなければ見えてこない。それは、人間でも動物でも同じではないだろうか。

そんなわけで、これまでいろいろな本を読んでモヤモヤしていたオオカミ問題について、本書を読んで非常にクリアになった部分がたくさんあった。

まず、日本オオカミ協会がいうような、日本の山にオオカミを再導入するのは、麓に住む人間にとって危険ではないという主張は、大きく前提条件を欠くものではないか、ということである。
ちゃんと管理をしなければ、酪農や人間に対する被害だって普通に発生するのだ。
その管理というのも、オオカミを管理するというよりも、環境自態を管理する必要がありそうだ。

実際、本書には、ポーランドでの家畜や犬に対する被害、カナダで単独行のハイカーに対する被害が紹介されていた。

著者であるショーンは、オオカミと人間の垣根を取り払うべく尽力しているわけだが、その彼においてすら、現状においてオオカミ再導入に諸手を挙げて賛成しているわけではないことが、本書の強いメッセージとして読み取れる。オオカミを再導入するということは、オオカミを放てば良いということではないのだ。
つまり、オオカミと人間が棲み分けできる環境を整えなければいけないのだ。その点が、日本オオカミ協会の主張では非常に脆弱な印象を受けるのである。
当然、生態系の破壊をこれ以上進めてはならないという思いは、僕とて同じではあるのだが。



2013年3月12日火曜日

ウィリアム・ソウルゼンバーグ 『捕食者なき世界』

近所に、手頃な書店が2軒ある。
その書店のいずれかには、東京を離れている時でなければほぼ毎日のように立ち寄るのだが、それぞれの書店で書棚の作り方に特徴があって、目立つように平置きされている本が大きく異なっている。それが、それぞれの書店の生き残り戦略なのだろう。

そのような書店の片方で、長きに渡って生物学関連のコーナーに置かれていたのが『捕食者なき世界』だ。
この本は、なぜかAmazonの「おすすめの本」でもしつこく僕向けにレコメンドされていた本なので、気にはなっていた。
そして、ついに根負けして購入するに至ったのだ。

読み始めると、覚醒効果のある葉っぱでも噛んだかのように、脳にダイレクトに刺激が伝わるような内容だった。
あっというまに読書メモに文字をびっしり書き込むことになった。


本書の全体を通してのテーマは、食物連鎖の頂点に君臨する捕食者こそが生態系の番人であり、頂点捕食者(トッププレデター)がいなくなると食物連鎖の下位の生物が増殖して生態系が大幅に崩れ、最終的には見るも無残なほどに自然が破壊される、ということだ。
本書では、それを補強するような研究事例や、それらの研究の歴史などを紐解き、帰納法的にテーマを掘り下げていく。

その1つの例として取り上げられているのが、アメリカのイエローストーン国立公園にオオカミが再導入されたことによる生態系へのプラスの効果についてだ。
かつて西洋において憎まれ役でしかなかったオオカミは、白人のアメリカ入植以降、ひどい迫害を受け続け、ついには絶滅しかける状態にまで至った。なかでも、国立公園として海外にまでその名が知られるイエローストーン国立公園では、園内に限って言えばオオカミは絶滅した。
オオカミが絶滅して以降、公園にはシカが大繁殖し、若木を食い荒らし、公園の緑は荒れてしまった。
そこに、再びオオカミを他所から連れてきて放ったところ、生態系のバランスに回復の兆しが見えてきたということだ。

実はこの話は、僕もよく知っている。
これに類似した話は、アメリカだけでなく、ドイツにもポーランドにもある。
なぜそんなことを知っているのかというと、日本にもオオカミ再導入を唱える人たち(日本オオカミ協会という団体がある)がいて、その人たちによる著作を読んだからだ。
(興味がある方は、こちらの記事をご覧ください。)

僕は奥多摩や丹沢、奥秩父の山々を歩きながら、シカの害を肌身に感じることが非常に多い。
このため、狩猟免許を取得してシカ猟することで、少しでもシカの害を食い止めることに役立てないだろうかという思いを強く持っている。
日本オオカミ協会の人たちは、「狩猟で解決するには、日本のハンター達は高齢になりすぎた」というロジックでオオカミの再導入を推進するのだが、そこに僕は常に論理の飛躍を感じていた。
オオカミ再導入にあたってのリスクと、日本のハンターの若返り施策の実現性を天秤にかければ、若手のハンターを育成する方が現実的なんじゃないかと思うからだ。

でも、本書『捕食者なき世界』によれば、僕のその考えは間違いだということになる。
被食者(捕食者の餌となる生物。オオカミに対するシカなど)は、捕食者が常に周辺をウロウロしているという危機感を感じることにより、その行動が抑制され、その抑制された分だけ植生に対する食害が抑えられるというのだ。
つまり、シカの頭数の問題だけでなく、シカの行動そのものをどれだけ抑えられるのか、ということなのだ。
たしかに、丹沢あたりの鹿は、まるで禁猟区を知っているかのように、猟が解禁されると禁猟区に逃げていき、そこで木々が枯れるまで芽でも葉でも食い荒らすのだ。

本書は、日本オオカミ協会の人たちよりも、オオカミ再導入についての説得力があった。
唸るしかない。

ううむ。。。


2013年3月9日土曜日

佐藤優 『佐藤優のウチナー評論』

鈴木宗男氏に連座して外務省を追われた佐藤優氏は、現在はさまざまなメディアで精力的に情報発信をする作家に転身した。
その情報発信スタンスは、氏が外務省官僚であったころに学んだインテリジェンス(情報収集・分析)と、官僚になる前から取り組んでいる神学やマルクス経済学をベースにしている。
論考は常に鋭く、緻密だ。

そんな佐藤氏の著作は硬軟織り交ぜて多数世に出ているが、僕はそのうちの10作品程度をすでに読んでいる。
他の作品は今のところ、まあ、読まなくてもいいだろうと判断して手をつけるつもりはないものだ。

Amazonで出版情報を見ていたらもうすぐ新作が出るようなので、それを心待ちにしていたのだが、先日沖縄に所要で出かけた際に空港の書店で、これまで見たことのない佐藤氏の著作を見つけた。
表紙に佐藤氏の顔写真がデカデカを使われているのだが、それ自体は氏の著書では珍しいことではない。問題は、その表紙の写真が、やや粗いのだ。
この粗さはもしかして、ローカルな出版社が講演集でも編んで出しているのか?と思って手にとってみると、出版元は琉球新報社。沖縄のローカル新聞社だ。
内容は、その琉球新報社が発行している琉球新報に連載された、佐藤氏の評論をまとめたものだった。丁寧に、著者本人によるまえがきとあとがきも添えられている。

その本のタイトルは『佐藤優のウチナー評論』。

Amazonを見たら、データはあるものの取り扱いは無かった。

内容は、母親が沖縄の出身である著者が、自身の中の沖縄の血を沸き立たせながら、沖縄が現在(連載当時)立たされていたさまざまな問題に対しての処方箋を熱く書き綴っている、という感じである。
マニアックな知識を前提として書き進めるスタイルは著者の他の著書と変わらないが、沖縄ローカルの新聞での週一連載であることを意識してか、多少は解説的な言い回しも多いような気がする。
その代わり、沖縄に関するような話は、ヤマトンチュにはピンと来ないような話も無解説だ。
たとえば、「おもろそうし」とか「八八八六」とか。
きっと沖縄の人ならば解説無しでピンとくるカルチャーなのだろう。

主なテーマの1つとして、沖縄が政治的に割を食っている現状を改善するための提言、特に中央官僚と戦うための処方箋にかなりの項を費やしている。
連載当時、まだ籍は外務省に残っていた著者だからこそ、独自の視点として語るべきことを語ったのだろう。

本書を読んで、東京在住の中年サラリーマンである僕には、具体的な行動に落とし込めるような示唆は現時点では何も無いのだが、沖縄の置かれた状況・立場を理解するという意味では大いに役立ったと思っている。
少なくとも在京大手の新聞社が報じる沖縄の姿よりも、より体系だった理解が促される内容であった。



2013年3月2日土曜日

ローリー・スチュワート 『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』

一般の旅行者が近寄れないような危険地帯についての情報は、非常に限られた経路でしか入手できない。それでは、仮に偏向した情報であったとしても、それが正当かどうかの判断を下すことができない。
そういった状態に僕は、非常に非常に非常に不快感を感じるのだ。
かといって、命懸けで一次情報を取りに行くほどのリスクテイカーでもない。

そんなハンパ者の自分には、自らリスクを引き受けて治安の悪い地域をリポートしてくれる本はこの上なくありがたい。
今回取り上げる 『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』は、まさにそういった作品だ。

イギリス人である著者は、なぜか自らの意思で、2000年~2002年にかけての19ヶ月間でアフガニスタンを歩いて横断した。その際の模様を記したのが本書である。
なぜ著者はアフガニスタンを歩いて横断したのか、本書を読んでもよく分からない。が、歩いて旅をすることにより、その土地の人や風土を肌感で理解することを目的としたのかもしれない。

文章は、残り1割になるまで、淡々とした記述が続く。
解説や背景の説明は非常に少ないので、なんだかよく分からないままに旅が進んでいく。
ページだけが進んでいき、アフガニスタンに関する知見が深まるわけでもない。
苦労して旅をしているのは伝わってくるし、危険な目に遭っているのも分かるのだが、それ以上でもそれ以下でもない。

ただ、残り1割ぐらいになって、急に筆致が変わる。
やっと著者の思いの片鱗が、具体的な言葉として現れてくるのだ。
だが、その時点ではもう旅の終わりが間近だ。
そして、決してハッピーエンドとは言えない結末。すごくモヤモヤする。


なお、先日取り上げた 『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』でも記載があったのだが、本書でもイスラム教徒の犬嫌いが色濃く描かれている。
なんというか、特定の生き物を「不浄」とするのって、なぜなのだろうか。




2013年2月25日月曜日

高野秀行著 『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』

アフリカ事情に疎い日本人が多い中でも、さすがにアデン湾への自衛隊派遣については聞いたことがあるのではないだろうか。
要は、ソマリアという崩壊国家に巣食う海賊が諸外国の貿易船舶を襲撃するため、護衛のためにソマリア沖を自衛艦が航行しているのだ。
このような経緯から、ソマリアについて、日本では「海賊国家」というような認識をしている人が多いのではないだろうか。

僕がソマリアという国を初めて認識したのは、映画『ブラックホークダウン』であった。
ソマリアにおいて国家が完全に崩壊し、乱立する武装勢力による群雄割拠の内乱状態にあるところへ、国連軍(という名のアメリカ軍)が軍事介入をしたところ、武装勢力によって返り討ちにあってしまった、という内容の映画だ。
(こういう書き方をすると身も蓋も無いが。)

僕にとってのソマリアは、その映画を観て以来、情け容赦の無い凶暴な人々の国、というイメージが強くなってしまった。

が、その後、現代アフリカについて書かれた書籍を10冊、20冊と読み進めるうちに、アフリカの国家はソマリアに限らずどこも、いったんバランスを崩すと同じような無法地帯になるのだなー、という印象を持つに至った。

ただ、日本で特にアフリカと直接関係の無い生活を送っていると、アフリカに関する情報というのは非常に少ない。大型書店のアフリカ関連コーナーの貧弱さを見るにつけ、日本語で入手できる情報の少なさに残念な思いを抱かずにはいられない。

そんななか、著者自身がソマリアに入国して、実際に目で見て耳で聞いたことを綿々と書き綴った作品が出版された。
それが『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』である。

著者は高野秀行。
早稲田大学探検部の出身で、アフリカ、中東、アジアの、主に治安の悪そうなところを中心に出歩いて取材し、ノンフィクションにしたためている作家だ。
著者の初期の作品は、早稲田大学探検部らしく気を衒った、良くも悪くもうわついたトーンの作品が多いが、『謎の独立国家ソマリランド』は非常に腰の据わった印象を受けた。

タイトルにある「ソマリランド」は、ソマリアの北部が独立宣言をして独立国家を名乗っている、その国の名前だ。が、ソマリランドを独立国として認めている国は無い。
正直なところ、本書を読むまで僕は、ソマリランドは内戦が行われているような地域にありがちな、武装勢力が勝手に名乗っているだけの実態の無い存在だと思っていた。
が、本書によれば、その認識は大きな間違いであるようだ。

ソマリランドでは、自国通貨であるソマリランド・シリングが主に使用されており、きちんと機能しているという。
しかも、治安も極めて良好であるという。

治安が極めて良好だ、という情報は、実は本書に先行する日本語での書籍にも記述があるという。
1つが『アフリカ21世紀』。もう1つが『カラシニコフ』。本書で、その2作品が紹介されていた。
前者については読んだことは無いが、後者は、出版されてすぐに読んだ。いろいろと印象に残っている作品だったのだが、ソマリランドの治安が良好であるということに言及していたという記憶が全く残っていなかった。きっと単純に、印象に残らなかったのだろう。


さて、肝心の本書の話だが、先に述べたように、著者の作品にありがちな浮ついた感じが良い意味で薄らいでいながらも、軽妙なテンポの語り口は健在で、非常に読みやすく、しかも頭に残りやすい。非常に好感を持った。
特に、ソマリ人の社会における非常に重要なファクターである「氏族」の概念を、日本の鎌倉~戦国の武将に例えるなど、便宜的な手法であるにせよ、著者の作家としての腕の成せるワザであると感じた。

内容についても、相変わらず並のジャーナリストでは成し得ないようなアプローチから、草の根レベルの取材で以て謎を1つ1つ解き明かしている。
その甲斐あって、この手のアフリカものにありがちな「で、結局なんでそうなんだ??」というモヤモヤが生じず、納得感の強い作品に仕上がっていると思う。というか、僕がここ5年ぐらい持ち続けてきたソマリアについてのモヤモヤが大幅に解消された。
また、それ以上に、なんといっても、ソマリ人ひとりひとりの息遣いを感じられる筆致は、高野節の面目躍如といったところではないだろうか。

これまで現代アフリカ関連の書籍は多数読んできたが、本書はその中でも群を抜く作品だと言って過言は無い。