2013年5月4日土曜日

ダン・アリエリー 『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』

以前勤めていた会社で、僕は、社長命令と職業的良心との板挟みに苦しむことが多々あった。
おそらく、株主からの圧力もあって利益を重視しなければならなかったのだろうが、かなり黒に近いグレーな行為を、経営判断という一言で片付けて強引に推進しようとする姿に、当時の僕は強い違和感を覚えていた。

最も不思議だったのは、なぜ社長は、そんなに物事を自分に都合よく解釈できるのだろうか、ということだった。しかも、それを詭弁とも思わず、正論であると思っているようだった。
もちろん、なにかの強いプレッシャーに晒された場合、判断にバイアスがかかるということは理解していたが、そのバイアスに自分自身が侵されていることに全く気付いていない様子なのが、不思議で仕方なかったのだ。
黒に近いグレーであることをしっかり理解した上での「経営判断」なのであれば、少なくとも僕は社長の判断力を疑ったりしなかったし、社長を信頼して命令を遂行していたかもしれない・・・。


この疑問に対する答えは、すべて 『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』に説明されていた。

社長は、その会社の創業者で、創業してまだ10年も経っていなかった。
いろいろな事業を興すのが好きで、そのほとんどは採算ベースに乗っていなかったが、それでも仕組みとしてはなかなかに画期的なものが多かった。
本書によれば、そういった、創造性の豊かな人は自身の不正について正当化するのも上手いのだという。

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創造性と不正の間の関連性は、自分が正しいことをしていなくても、「正しいことをしている」という物語を自分に言い聞かせる能力と関係があるように思われてくる。創造的な人ほど、自分の利己的な利益を正当化する、もっともらしい物語を考え出せるのだ。(194ページ)
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僕は、社会に適応するために創造性を封印し、実務を如何に効率的・効果的に回すかに特化してキャリアを作ってきたので、イノベーティブな人間ではないと自覚している。だからこそ、自己正当化の上手な人に対して、吐き気がするほど拒否感を覚えるし、僕自身が自己正当化の徒に堕していないかを常に恐れている。
もちろん、如何に内省したとしても、堕している可能性は常にあると思っている。僕の弱い心はすぐに折れるし、そんな時に全く自己正当化せずにいられるほど心が強ければ、そもそもそんなに簡単に折れないのだ。
だが、正当化したストーリーとパラレルで、常に、正当化を批判する別の自分を持っておくことを心がけている、(それ自体が正当化だという見方も可能だが・・・。)

そんなわけで、本書は僕の内省をより深める示唆に富んでいた。
もちろん、ただただ内省するばかりでは気持ちが暗くなるのだが、「ずる」という悲しい現実を、シニカルな笑いに変えて表現している。
ユーモアはペーソスに裏付けられているものだということの傍証のような作品だと思う。


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