2013年3月12日火曜日

ウィリアム・ソウルゼンバーグ 『捕食者なき世界』

近所に、手頃な書店が2軒ある。
その書店のいずれかには、東京を離れている時でなければほぼ毎日のように立ち寄るのだが、それぞれの書店で書棚の作り方に特徴があって、目立つように平置きされている本が大きく異なっている。それが、それぞれの書店の生き残り戦略なのだろう。

そのような書店の片方で、長きに渡って生物学関連のコーナーに置かれていたのが『捕食者なき世界』だ。
この本は、なぜかAmazonの「おすすめの本」でもしつこく僕向けにレコメンドされていた本なので、気にはなっていた。
そして、ついに根負けして購入するに至ったのだ。

読み始めると、覚醒効果のある葉っぱでも噛んだかのように、脳にダイレクトに刺激が伝わるような内容だった。
あっというまに読書メモに文字をびっしり書き込むことになった。


本書の全体を通してのテーマは、食物連鎖の頂点に君臨する捕食者こそが生態系の番人であり、頂点捕食者(トッププレデター)がいなくなると食物連鎖の下位の生物が増殖して生態系が大幅に崩れ、最終的には見るも無残なほどに自然が破壊される、ということだ。
本書では、それを補強するような研究事例や、それらの研究の歴史などを紐解き、帰納法的にテーマを掘り下げていく。

その1つの例として取り上げられているのが、アメリカのイエローストーン国立公園にオオカミが再導入されたことによる生態系へのプラスの効果についてだ。
かつて西洋において憎まれ役でしかなかったオオカミは、白人のアメリカ入植以降、ひどい迫害を受け続け、ついには絶滅しかける状態にまで至った。なかでも、国立公園として海外にまでその名が知られるイエローストーン国立公園では、園内に限って言えばオオカミは絶滅した。
オオカミが絶滅して以降、公園にはシカが大繁殖し、若木を食い荒らし、公園の緑は荒れてしまった。
そこに、再びオオカミを他所から連れてきて放ったところ、生態系のバランスに回復の兆しが見えてきたということだ。

実はこの話は、僕もよく知っている。
これに類似した話は、アメリカだけでなく、ドイツにもポーランドにもある。
なぜそんなことを知っているのかというと、日本にもオオカミ再導入を唱える人たち(日本オオカミ協会という団体がある)がいて、その人たちによる著作を読んだからだ。
(興味がある方は、こちらの記事をご覧ください。)

僕は奥多摩や丹沢、奥秩父の山々を歩きながら、シカの害を肌身に感じることが非常に多い。
このため、狩猟免許を取得してシカ猟することで、少しでもシカの害を食い止めることに役立てないだろうかという思いを強く持っている。
日本オオカミ協会の人たちは、「狩猟で解決するには、日本のハンター達は高齢になりすぎた」というロジックでオオカミの再導入を推進するのだが、そこに僕は常に論理の飛躍を感じていた。
オオカミ再導入にあたってのリスクと、日本のハンターの若返り施策の実現性を天秤にかければ、若手のハンターを育成する方が現実的なんじゃないかと思うからだ。

でも、本書『捕食者なき世界』によれば、僕のその考えは間違いだということになる。
被食者(捕食者の餌となる生物。オオカミに対するシカなど)は、捕食者が常に周辺をウロウロしているという危機感を感じることにより、その行動が抑制され、その抑制された分だけ植生に対する食害が抑えられるというのだ。
つまり、シカの頭数の問題だけでなく、シカの行動そのものをどれだけ抑えられるのか、ということなのだ。
たしかに、丹沢あたりの鹿は、まるで禁猟区を知っているかのように、猟が解禁されると禁猟区に逃げていき、そこで木々が枯れるまで芽でも葉でも食い荒らすのだ。

本書は、日本オオカミ協会の人たちよりも、オオカミ再導入についての説得力があった。
唸るしかない。

ううむ。。。


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