2013年3月16日土曜日

ショーン・エリス、ペニー・ジューノ 『狼の群れと暮らした男』

前回のエントリーでは、頂点捕食者が生態系の要であること、そして、そういった頂点捕食者の一種としてのオオカミがイエローストーン公園に再導入されたことによる生態系への好影響について触れた。

実際、狼を日本に再導入しようとしている人達は、このイエローストーン公園の事例を非常にありがたがり、成功事例として喧伝している。
ただ、どうも僕には、イエローストーンの事例をそのまま日本に当てはめられるのか、釈然としない。

そんなわけで、オオカミ関連の文献をコツコツと読み漁っているのだが、その一環として今回は『狼の群れと暮らした男』を読んでみた。

著者はショーン・エリスとペニー・ジューノの2人ということになっているが、著者紹介にはショーン・エリスしか載っていないし、本書はショーンの一人称スタイルで語られていて、ペニーの気配はどこにもない。本文中にも登場しない。
もしかしたら文章を担当したのがペニーなのか。よくわからない。

本書は、オオカミと共に生きるショーン・エリスの半生を一人称形式で語った作品だ。
このショーン・エリスは、イギリスやアメリカのテレビ番組などにたびたび出演しているようだが、実は2010年に日本のテレビにも出演している。
それは、2010年2月28日放送の『世界の果てまでイッテQ』の珍獣ハンター・イモトのコーナーだ。イモトがオオカミの群れに混ざるという企画で、ショーンの運営するクームマーティン・パークを訪れたのだ。
残念ながら、本書にはそのことは全く触れられていないが、興味のある方はネットで探すと動画が見つかるかもしれない。

さて、肝心の本書であるが、オオカミの生態ではなく、オオカミと暮らした男の生態が描かれているといったほうが、より適切な印象を抱いた。
が、そこは流石「オオカミと暮らした男」、オオカミの生態についてもかなりのボリュームを割いて解説している。とはいえ、そのアプローチは「暮らした」という観点からであり、大部分を経験論で占められている。
ショーンの展開するロジックが、あくまで経験に基づいた論であるところが、生物学者のカンに障るのだろう。本文中でも度々、生物学者たちから受け入れられない状況に言及されている。

しかしながら、ショーンの経験は、動物園の飼育員程度の経験とはモノが違う。
飼育下に無い野生のオオカミの群れに交じって、しかもその群れの中で最下位のポジションとして2年間もの間、オオカミと同様の生活(そう、風呂にも入らず寝具も用いず、食料もオオカミと同じものを食べて)を送った。
外から観察しなければ客観性を担保出来ないという考え方もあるかもしれないが、内在理論は中に入ってみなければ見えてこない。それは、人間でも動物でも同じではないだろうか。

そんなわけで、これまでいろいろな本を読んでモヤモヤしていたオオカミ問題について、本書を読んで非常にクリアになった部分がたくさんあった。

まず、日本オオカミ協会がいうような、日本の山にオオカミを再導入するのは、麓に住む人間にとって危険ではないという主張は、大きく前提条件を欠くものではないか、ということである。
ちゃんと管理をしなければ、酪農や人間に対する被害だって普通に発生するのだ。
その管理というのも、オオカミを管理するというよりも、環境自態を管理する必要がありそうだ。

実際、本書には、ポーランドでの家畜や犬に対する被害、カナダで単独行のハイカーに対する被害が紹介されていた。

著者であるショーンは、オオカミと人間の垣根を取り払うべく尽力しているわけだが、その彼においてすら、現状においてオオカミ再導入に諸手を挙げて賛成しているわけではないことが、本書の強いメッセージとして読み取れる。オオカミを再導入するということは、オオカミを放てば良いということではないのだ。
つまり、オオカミと人間が棲み分けできる環境を整えなければいけないのだ。その点が、日本オオカミ協会の主張では非常に脆弱な印象を受けるのである。
当然、生態系の破壊をこれ以上進めてはならないという思いは、僕とて同じではあるのだが。



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